
実は、7月7日は「カスミソウの日」です。
ネットで検索しても、そのように多く書かれています。
でも、何故7月7日がカスミソウの日になったのか?
そのいきさつを知っている人は、世の中に二人しかいません。
「7月7日はカスミソウの日」キャンペーンを始めた二人です。
20年ちょっと前のことです。
言いだしっぺは、当時、株式会社花良品の社長の阿部憲資(けんすけ)氏。
もう一人は、夏のカスミソウの主要産地、福島県昭和村の昭和花き研究会の菅家博昭代表。
阿部氏が、昭和村の昭和花き研究会の事務所を訪ねた時に、当時世界一のカスミソウの種苗会社、イスラエルのダンジガ-社の一枚のポスターを見たのです。
そのポスターは、群青色の背景にカスミソウが全面に浮き出ていました。
それを見た阿部氏が、このカスミソウ、まるで天の川だね。
そうだ、七夕の7月7日をカスミソウの日にしよう!と言いました。
菅家氏は、そんなこと勝手に決めていいの?と仲の良い阿部氏に問いましたが、
阿部氏は、日本のバレンタインデーだって、チョコレートメーカーのメリーとモロゾフが始めたもの。実体が出来ればそうなるもんさ、と答えました。
そうして、2002年に、花良品の8店舗で、福島県や資材メーカーを巻き込んで、初めての「7月7日はカスミソウの日」キャンペーンを始めたのでした。
その日に合わせて、パレス化学さんとも共同してカラーの染カスミソウも開発しました。
4トントラック満タンに2台分、売れに売れました。
それから、5年程経った頃、菅家代表から阿部氏のところに電話が入りました。
「阿部さん、カスミソウフェアーの参加店舗が、全国で1,000店舗超えましたっ!」。
このようにして、阿部氏の着想と菅家氏の頑張りで、7月7日はカスミソウの日が定着したのです。
歴史って、こんなものです。
母の日だって、アメリカにアン・ジャービスが、父の日だって、ソノラ・スマート・ドットがいなければ、始まっていなかったです。
ちなみに、私の名前は、K・Aです。
20年前、やんちゃしていました。